「ジャパンルネッサンス」 はじめに
13, 2019 00:00


私が生まれたのは、第二次大戦直後でまだ戦争の焼け跡さめやらずの頃である。考えてみれば、生まれた年から20年前は戦争がはじまるずっと前で、戦後70年を経過していることを考えると、大戦の5年間は短い年月であった。しかし、その衝撃は平和の時代と比べれば雲泥の差である。
物心がついた頃、映画、ラジオ、新聞、雑誌の記事は戦争に関わるものが多く、またその論調も馬鹿な戦争をして、日本は満州を失い、台湾、朝鮮を失ったと否定的な意見が多数をしめ、これを肯定する保守の一派もいるにはいたが、いわゆる左派の進歩学者が主流で、映画監督や学会ではこうしたマルキシズムが流行り、それが一種のブームとなっていた。その意味で東条元帥はまるでヒットラーと肩を並べる悪者扱いを受けた。資本主義社会はいずれ共産主義社会に移行するだろうといった風潮が一般的で、マスコミでは、ソ連、中国、北朝鮮などの共産国は、「天国」のように扱われていた。しかし、ラジオからは「海ゆかば」や「影をしたいて」などの戦前の歌がよく流れていた。

長兄は、戦前生まれで田舎の高校から国立大の医学部に現役で入学する秀才であったが、読んでいる一般書は、「三光作戦」や「南京虐殺」のような日本軍の悪行を暴くものが多く(その後、これらがすべて左翼の捏造であることが明らかになる。)、ちょうど安保闘争の頃もあって、共産シンパとしてデモにも参加していた。

次兄は、私と同様戦後生まれであったが、典型的な団塊世代であったが、東京の文系大学に籍を置き、弁論部で活動していたが、アカに溺れることなく、福田恆存の本などを読むどちらかといえば右翼の学生であった。しかし、この世代の多くの学生は、政治活動にのめり込み、共産主義に溺れる左翼学生となった。この世代が社会のトップを占めるにつれ日本のマスコミ界は真っ赤に変貌していった。

私が東京の大学に入る頃になると、こうした学園闘争は鳴りを潜め、ノンポリ学生が増えはじめた。その理由としては、学生のイデオロギー闘争が浮世離れしたばか騒ぎであることが次第に明らかになりはじめたことや、理想とする共産主義社会の化けの皮がはがれはじめことがある。もはや共産主義社会が理想郷であるなどというのは妄想であることを東欧諸国の圧政を見てみんなが学習した。資本主義に方が共産主義よりましだということだ。学生は政治運動よりフォークソング選び酔いしれるようになった。にもかかわらず、私が会社勤めをはじめ、ベルリンの壁が崩壊し、共産主義の愚かさわかったのにも関わらず、マスコミの論調はそれと逆行するように左傾化している。いまのマスコミは新聞もテレビもみても、彼らの偏ったレンズを通してみる世界しか語らない。真実など報道する気などさらさら感じない。

一方、生活は戦後の朝鮮戦争の影響もあり、戦争景気に沸く。その後も日本経済は池田首相の高度経済成長路線にのって大きく成長していった。こうして、日本は1970年代には「一億総中流」と言われるくらいに経済的な豊かさを享受できるようになった。テレビも冷蔵庫も洗濯機もそして車も誰もが手にできる時代になったのである。しかし、経済的繁栄の中失われてゆく日本伝統に気づくこともなく、ただただリッチになったことに満足していた。「エコノミックアニマル」と呼ばれようが、世界の一等国に比肩できる物質的豊かさに胡坐をかき、次第に日本人がもっていたもう一つの良さである「清廉さ」、「謙虚さ」、「勤勉さ」が忘れられ、アメリカ流のエゴとプラグマティズムが日本人の中で幅を活かすようになっている。若者の気質が変わりはじめ、「自己愛」を大事にして周りの人間との接点を失う人間が増えている。なんとなく会社内の雰囲気も殺伐として、先輩が後輩を指導し育てるといった昔の風習は次第に消え、いずれライバルとなる後輩にはあまり教えないというアメリカ流エゴイズムが幅を利かすようになってきている。これは社会の劣化である。日本流の生き方とはいえない。グローバル化の中でアメリカ流の生き方のほうが新しい、優れていると考える者が増えているが、西欧人のような筋骨隆々とした個人主義者にひ弱な日本人がなれるはずもないだろう。そんな生き方は日本人には向いていないし、なろうとすること自体がばかげている。日本人には日本人らしい生き方があり、自分の能力の限界を理解してその中で努力することが肝要である。やはり、日本人は日本国を愛し、その中で皆で助け合って生きることの方が一番だ。西欧流のスーパーリッチな人間にはなれなくても、全うな人生を送ることの方が大事と考えるのが日本人流の生き方ではないのか。
こう考えていくと、戦後はアメリカから政治的、文化的な影響が大きく、日本の伝統的な生き方を次第に喪失した時代だったといえる。しかし、いくらアメリカを真似ても猿真似の域はでず、幸せにはなれないということをこの頃やっとみんなが気づいたような気がする。まだ、グローバルな人間を目指して頑張る、それこそ「時代遅れ」の輩も少なくはないけれどもアメリカにいってみれば、こんな民族の坩堝の中で人種差別を気にしながら、金だけのために片肘貼って生きるよりは、実入りは少ないけれども、日本に帰り、気の通じた友と互いに慰めあい、助け合って生きることの方が重要であること、日本人には向いていることを大半の人間は悟ると思う。若者よ、そうなのだよ。日本という国はそういう日本人にとってとても住みやすいいい国なのだ。だから、世界に飛び出てグローバリストになろうなどという妄想は捨て(もちろん、世界に羽ばたける逸材は別であり、そうした人間は世界平和のために頑張っていただきたい。)いずれは日本に帰り同胞と日本をさらに素晴らしい国にするように、英霊の意志を継いで頑張ることこそが我々、凡人に与えられた使命なのだ。他国は他国なりの文化、文明があり、アジア人のように顔の形、肌の色が似ても考えていること、価値観は大きく相違し、安易に人間はみんな同じなどとほざくほど人類の文明はまだ進歩していない。依然として国々ごとに、同じ文化レベル、意思疎通のできる人々が集まり、生活することこそが人間には最も幸せなことなのだ。だからこそ今、戦後のアメリカ二ズムから脱却して、本来の日本文化を取り戻すことこそ、本当の幸せにつがる道であることを理解すべきだ。GHQの陰謀によって戦前の日本が否定されたことはおおきな誤りであった。もう一度自身で振り返り、失った日本人としての生き方を取り戻して、日本文化を再生しよう。その中にこそ日本の未来がある。上ばかり見ないで、足元を見ることこそが問われているのだ。東京に出て、外国に行き、ひと花咲かすことが生きがいではなく、東京で勉強し、外国で勉強し、故郷に帰って故郷に骨を埋めることの方がよっぽど偉いこと、賢いことだと思う。自分のことだけを考えるより、人と一緒に人に尽くす態度で暮らすことこそが「大人の賢明な生き方」である。このブログは、こうしたスタンスから戦後の世界を振り返り、日本人が失ったもの、取り戻さなくては英霊に申し訳ないことについて自分の考えを述べたものである。若者が日本人としてのプライドを取り戻し、世界の日本人として暮らすヒントとなれば幸甚である。最後に、このブログは我が最愛の息子の将来に送るエールであることを言い添えておく。
NHKドラマ「おしん」は、アジア中の人々に共感と感激を与えた。
